Day10 「酔」

 

 

 現在泊まっている宿には、すでに3泊滞在した。フィレンツェには、あと3日いるつもりである。気分を変えるために、宿を移ることにした。

 

 

 

 新たな宿は、民泊サービス"Airbnb"で予約した。フィレンツェ中央駅にほど近い今の宿から、美術館などが集まる中心部に近い新たな宿に向けて、荷物を背負って出発する。

 

 

 

 

 

 民泊先のオーナーは若い男性だった。イタリア人らしくすらっと背の高い美男子である。案内された個室の部屋は、屋根裏部屋といった感じの、少し狭めの部屋だった。だが、一人には十分だった。この旅ではドミトリーばかりに泊まってきたため、個室というだけで贅沢をしているような気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はフィレンツェ二大美術館のひとつ、アカデミア美術館へ行くことにしていた。目的は、かの有名なダビデ像である。とはいっても、小学生の頃の社会科の教科書で一目見て感銘を受けただとか、どこかの本で読んでこの目で一度見てみたいと深く思った、とかいった思い入れがあるわけではない。そう、単なるミーハー心で行きたいだけなのだった。

 

 

 

 

 ミーハー心といえば、フィレンツェという街はそれをくすぐる。集団の観光客が多いせいか、私も彼らに混じって、有名なものを見て、有名なものを食べ、皆と同じことをしている自分に陶酔する。「単なる旅行者」になるということだ。

 

 

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 何を持って「単なる」旅行者といい、何を持ってそう言わないのかは定かではないが、何だかそういうことなのだ。これまで人より多くの場所を旅行してきたというだけで、ただ格好をつけたいだけなのだろう。

 

 

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 多くの国を旅行してきたからといって、何も偉いということはない。よく「多くの国に、しかも一人で行くなんてすごいね」なんて言われるけど、全くすごいことはない。ただ見たい景色を見て、そこにいる人間に会いたいだけなのだ。そういった意味では、旅もとい旅行は単なる「豪奢な無駄」に過ぎない。無駄を食っているだけの人間に、どうして「すごい」なんて言えようか。いや、日常生活にはなんの足しにもならない無駄をするということが実は、「役に立つこと」ばかりを追い求める現代においては「すごい」ことなのかもしれないが…。

 

 

 

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 さて、アカデミア美術館である。当日券を求める人は長蛇の列をなしている。事前予約をしていた私は、特に苦労することもなく、中に入る。これも織り込み済みではあったが、ミーハー心を頼りに見学をして、心に深く突き刺さるような感動を覚えるはずもない。ダビデ像は、つまり、、、、大きかった。

 

 

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 この観光の街で過ごす中で、一つ困ったことがあった。それは、一人で入りやすいレストランがないということだった。少し良さげなレストランを覗くと、いちゃつくカップルで溢れかえっていたり、かなり値の張る店だったりする。

 

 

 

 この日も、中心部のあたりを「どこか夕食にいい店はないだろうか」と歩き回ったが、どこもそういう類の店ばかりだった。

 

 

 

思い切って中心部から外れることにした。歩いていくうちに、観光客らしき人が周囲に全くいなくなった。さらに歩くと、とある裏道に小さなレストランを見つけた。覗くと客は一人もいなかった。「ボンジョルノ」。イタリア語しか話さぬ70歳くらいのおじいさんとその娘と思しき2人で切り盛りしている、大衆食堂といった雰囲気の店だった。

 

 

 

 

「メニューをください」と英語で話しかけるも、「何を言ってるんだこいつは」といった表情で、平気でイタリア語で何やら話しかけてくる。仕方がないので2つ隣のテーブルに無造作に置かれたメニュー表らしきを、自ら取りに出向いた。見ると、すべてイタリア語で、何が何なのかさっぱりわからない。ジャスチャーを交えてなんとかパスタを注文し、ついでに赤ワインも頂こうと思った。

 

 

 

Red Wine!」と言うと、おじいさんは「Si」と頷いた。どうやらこれは通じたようである。満足した表情でいると、彼が続けて「ビアンコ?ロッソ?」と聞いてきた。さて、どういう意味だろう。文脈を考えると、おそらく「大か小かどちらにするか?」と聞いてきているに違いない。もともとお酒の強くない私は、「小」の方にしようと決めた。だが、小はビアンコとロッソのどちらだろう。少し考えて「ビアンコ!」と勢いで頼んだ。すると、「Si!!」。「でかした!」とばかりにおじいさんは厨房の方へ行ってしまった。嫌な予感がした…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 樽のようなサイズのワインが出てきた。やってしまった。しかも見ると、頼んだはずの赤ワインではなく、なんと白ワインだったのだ。もうわけがわからなかった。わかっていることはわからないということだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飲めるところまで飲んでみることにした。最初は早いペースで、グラスとパスタを交互に口に運んでいたが、次第に顔が赤くなってくるのがわかる。それでも飲み続けていると、頭がグワングワンとまわりだし、酔いとの追いかけっこが始まった。これはまずい。4分の3ほどを飲んだところで降参し、会計をお願いした。おじいさんにはちゃんと詫びておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、飲み過ぎてしまった。宿まで帰る途中、足がふらついて思うように歩けない。だが特に気分は悪くはなかった。むしろよかった。ほのかなライトで照らされた川沿いの道は、美しかった。

 

 

 

 

 

 

 やっとのことで、美術館の集まるあたりまで帰ってきた。ふと耳をすますと、何やら心地の良いメロディーが聞こえてきた。私はその音に誘われるかのように、フラフラと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、バイオリン奏者とチェロ奏者のデュエットがいた。昼間は人で溢れかえっていた道も、22時近くとのなると人影がまばらだった。そんな道の端っこで、そのデュエットは静かに音を奏でていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その音色は美しく、酔いも手伝ったのかもしれないが、本当に私の心を震わせた。音色は、街の雰囲気にもマッチしていた。ここまでの旅の中で、最も感動した瞬間であった。私はとても長い時間、彼らの作り出す音色に酔いしれた。

 

 

 

 

 

 結局、彼らが演奏を終えるまで私は音を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿に帰ってスマートフォンを開いた。さて、ビアンコは結局、「大」って意味なんだろうな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんということだろう。「ビアンコ」は「白」という意味だったのだ。私は赤ワインを注文したつもりだったが、威勢良く「白ワイン!」と頼んでいたようなのだ。まったく...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、もうそんなことは、どうでもよかった…。

とてもいい夜だった。

 

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