Day11 「右か左か...」

 

 

 朝7時、外からのけたたましい鐘の音で目が覚める。近くに教会があるようだった。そういえば、モロッコのマラケシュでも、モスクからのアザーンの声で目が覚めた。日本で言えば、寺の鐘つきの音で目覚めるといったところか。音量の大きさには参ってしまうが、悪くない目覚めだなと思い、支度を始める。

 

 

f:id:Ryox:20170528190111j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ持参してきた服が尽きてしまいそうだったので、宿にあった洗濯機を借りて朝から洗濯をすることにした。イタリア語で書かれた洗濯機との格闘が始まる。

 

 

 

 文字の横に描かれた絵を頼りに、手順に沿ってボタンを押していく。だが、これがどうもうまくいかないのだ。洗い始めはしたものの、一向に脱水すすぎと進んでいかない。宿のオーナーは外に出かけてしまったようだし、自力で解読するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この四角い無表情な機械とにらめっこすること約2時間。ようやく言うことを聞いてくれるようになり、洗濯が進んだ。結局、午前中を丸ごと洗濯に費やしてしまった。まったく、海外にいると普通のことをするだけでも一苦労だ。もしこれが短期間の旅行で予定が詰まっていたら、イライラしてしまったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食は、昨日散歩時に見つけた「ラーメン屋」へ足を運んでみた。日本食が少し恋しくなったのだ。開店すぐに入ったにもかかわらず、店内は地元の人で溢れていた。普通のイタリア料理店に入った時などは、周囲の振る舞いをキョロキョロと気にしながら自信なさげに入店をしてしまうものだが、ここでは勝手がわかっている。まるで常連の店に入った時のような、余裕をたっぷり含んだ足取りで、席に着く。腕にタトゥーをびっしりと入れた、ムキムキの店員が注文を取りに来てくれた。

 

 

 

 

 

 

 注文した味噌ラーメンは、日本のそれよりスープの味が薄い気がした。だが、イタリアにしては上々の出来だ。なんていう風に、まるでラーメン研究家にでもなったような感想を抱いて店を出る。日本でラーメン屋から出るときと同じように「ごちそうさま!」と挨拶をすると、ドスの効いた大声で「グラッツェ!」と返ってきた。威勢の良さは本場仕込みってとこか。

 

 

 

f:id:Ryox:20170528191024j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後はフィレンツェ二大美術館のもう一つ、「ウフィツィ美術館」へ行くことにしていた。昨日行ったアカデミア美術館よりもかなり大きく、ボッティチェリなどの有名作品を多く展示しているとのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は美術館や博物館に見学に行く際に、いつも自らに言い聞かせる言葉がある。

「理解するんやない。感じるんや」。東京出身の私であるのに、なぜか関西弁なのである。なぜかはわからないが、おそらく関西弁の方がどこか力がこもっていて、それでいて軽さを含んでいるところがしっくりくるのだろう。例に漏れず、ここフィレンツェのウフィツィでもその言葉を胸に、中へと入る。

 

 

 

 

 この言葉の意味するところは、「見学の前に無駄な前情報をガイドブックから仕入れて勉強しようとするな。全身を持って、目の前の作品を感じに行け」、といったところか。もちろん事前に本などで調べたりという行為が少し億劫だという面もあるが、ガイド本に書かれたさも「ここで是非感動してください」というような説明書きが、なんだか嫌なのである。ガイド本から「この絵画はここがすごい」といった情報を事前に得てしまうと、感想を勝手に決め付けられてしまうような気がしてしまう。誰がどう言おうと、自分が感動したものは感動したと言い、しなかったものにはしなかったと言いたい。まったく、ひねくれているのか素直なのかわからない...。

 

 

 

 

 

 

 アカデミア美術館に行った時も、もちろんダビデ像の存在は把握していたが、それがどのような時代背景でどのような意味を込められて造られたのかということについては無知の状態で行った。その結果、私は「ダビデは大きかった」という感想を抱いたのである。勿体無いという人がいるかもしれないが、これでいいのである。

 

 自分の気持ちに素直に旅するとはこういうことである。自由とは、こういうことなのである。右に行ったっていいし左に行ったっていいし、まっすぐ行ったっていい。いや、行かなくたっていいのだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、自らを不自由にするのは、自分自身なのだ…。

 

 

 

 

 

 

f:id:Ryox:20170528191503j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 宿に帰る途中、食料品店に立ち寄った。今日こそは赤ワインを飲みたいと思ったのだ。赤ワインの小さなボトル一本と生ハムを買った。さらに途中の小さなピザ屋で数種類のピザの切れを買い込み、イタリア最後の夜の食事とした。

 

 

 

f:id:Ryox:20170528191555j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな屋根裏のような部屋で、窓を開けて外の空気を感じながら飲む赤ワインは、旅人に癒しを与えてくれた…。

 

 

 

f:id:Ryox:20170528191618j:plain