Day12-① 「"Latest"」

 

 

 1週間弱滞在したイタリアを、発つ。フィレンツェから、まずはイタリアの東、アドリア海に面するアンコーナという小さな港町へバスで向かい、そこからフェリーへ乗る。

 

 

 

 Airbnbの宿のオーナーからは、11時までにチェックアウトするようにと言われていた。9時ごろにぬくぬくと起き出し、たらたら準備を進めるうちに、あっという間に11時近くになった。オーナーに別れの挨拶をしようと思ったが、既に外出をしてしまったようだ。指定された場所に部屋の鍵をそっと置き、宿を出た。後で、Airbnbのサイトから礼のメッセージを送っておいた。

 

 

 

 

 

 フィレンツェアンコーナの直通バスは14時発の1日1本のみだった。駅近くのバスターミナルから出ているという。バスの時間までは2時間以上あった。大きな荷物を持って街を歩く気力がなかったので、駅前のファストフード店で時間を潰すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてと...。私は一冊の本をカバンから取り出した。いや、正確に言えば、カバンから取り出した電子書籍リーダー「Kindle」の中に入れてある本を開いたのだ。久しぶりに沢木耕太郎・『深夜特急』を読み返す。

 

 

 

 いわゆるバックパッカーの「バイブル」と評される、世界旅行記だ。ファストフード店に流れるポップなBGMの中、kindleという風情のかけらもない利器を使って、「バイブル」を読む。それでも『深夜特急』は私を不思議な世界観の中へと連れて行く。

 

 

 

 

 

 

 ヨーロッパの章を読む。深夜特急というと、香港やインドの印象が強く、ヨーロッパの章をあまり意識して読んだことはなかったかもしれない。沢木さんは、ここフィレンツェにも足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「私の心にそっと沁み入ってきたのは、そうしたルネッサンス期の名作より、フィレンツェの街の佇まいそのものだった。それも、歴史に名を留めている有名な寺院や宮殿の周辺より、僅かに石畳の舗道と建物の壁に中世の面影を残しているだけの、何ということもない小さな裏通りがよかった。その石畳の舗道を、観光用のものではあっても、馬車が高らかな蹄の音を響かせながら走っていたりすると、不思議な心のときめきを覚えたりした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間を忘れて読みふけっていた。顔をあげると、いつの間にか昼時になり、子連れの家族が楽しげにハンバーガーを頬張っていた。レジにもたくさんの家族が並んでいた。私は4人席を一人で占領してしまっていた。急いでKindelをカバンへ戻し、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バスの時間までまだ少しあったので、駅の周りをバックパックを担いで少し歩いてみた。「深夜特急」を読んだ後のせいか、どこか物語の主人公のような気分になってくる。自らの立てる靴の音が、吹き抜ける風の匂いが、先程までとは違うような気がした。こうして「靴の音」や「吹き抜ける風の匂い」を感じられるようになったのも、全て「深夜特急」のおかげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 14時半発のバスに乗るべく、バスターミナルへ向かった。バスターミナルとはいえ、決まったプラットフォームに決まったバスが来るわけではなく、一本の道の空いているスペースへ適当にバスが横付けするという方式のものだった。まずは自分の乗るバスがどこに横付けされているか、自力で探さなくてはならない。

 

 

 

 

 

 アンコーナまではバスで4時間の道のり。乗る船は20時にアンコーナを出航予定だ。十分に時間がある。少しアンコーナの街を観光する時間もあるかもしれない。

 

 

 私は自らの乗るバスを探した。大手の”FlixBus”というバス会社のバスだ。そのターミナルにはFlixBus社のカンパニーカラーである、黄緑のジャケットを羽織った係員が何人かいた。彼らに聞けば、どこに横付けされるか分かるに違いない。

 

 たくさんのFlixBus社のバスが止まっていた。さてどれだろう。近くにいた係員に聞いてみた。

 

アンコーナへ行くやつはどれですか?」。すると係員は、”It’s coming”(今向かってきている)と答えた。出発予定時刻の10分前だ。まだ到着していないのは当然のことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 出発予定の14時になった。この10分の間に、さらに多くのFkixbusが横付けされた。先ほどの係員に再度尋ねた。”It’s coming”。先ほどと同じ返答だった。少し早とちりをしてしまったようだ。「日本人は本当に時間にうるさいな」と煩わしく思われてしまうかもしれない。やれやれ、全く自分ってやつはせっかちにもほどがあるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、バスが到着したのは予定時刻を30分過ぎた、15時頃だった。

やれやれ。

 

 

 

 30分遅れのバスは、フィレンツェをようやく発った。この程度の遅れなら、心配することはあるまい。ここから4時間かかっても、19時にはアンコーナに着く。観光する時間は無くなってしまったが、船内で飲み食いするものぐらいは買えるだろう。

 

 

 

 

 

 これから乗るフェリーは国際航路である。国境を船で渡る経験はなかったので、気持ちが次第に高揚してくる。さて、どのような手続きを踏んで船に乗り込むのだろうか。確認の意味も込めて、フェリーの予約確認書を開いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェリーの出航時間から、乗船の際の注意書きまでざっと目を通してみた。その予約確認書の中で、ふと気になる箇所があった。そこには小さく、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

“Latest Port Check-in: 60 minutes prior to departure”

 

 

 

 

 

 

 

 

 「船のチェックインは、出航の1時間前からできる」。その文章は、紙の中で特に目立つこともなく、淡々とそこに書かれていた。よし、問題ない。このバスは19時に到着するし、ちょうどいいではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

”Latest”。この単語がなぜか気になった。大学受験の時に学習した、よく知っている単語だった。受験期に使っていた単語帳には、「最新の」という意味で掲載されていたはずだ。つまりこの文章は、「最新の港でのチェックイン」=「港でチェックインできる時間」は出航の1時間前から、という意味である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”Latest”。やはりこの言葉が、何か違和感を呼び起こす。記憶を辿ってみた。

単語帳の、この単語が書かれたページを思い出す。なぜかそこに、この違和感の答えが書かれているような気がした...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”Latest”。単語帳のそのページの内容が、徐々に思い出されてきた。主な意味である「最新の」という言葉の横に、何かもう一つの意味が書かれていたような記憶があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                             「最終の」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”Latest”。いや、まさか。念のため、私はスマートフォンの翻訳機能で、上の文章を丸ごと検索にかけてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  「港での最終チェックイン:出航の60分前」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感は当たってしまったようだ。心臓が大きく波打ち始めた。20時の1時間前、19時にバスは到着する見込みだ。アンコーナのバスの停留所から船の乗り場までは、タクシーで向かわなければならない距離だと聞いていた。

 

 そこそこ高い金を出して、チケットを買ってしまっている。今後の旅程のこともあるし、ここで乗り遅れる訳にはいかない。

 

 ふと窓の外を見ると、バスはイタリア中部・トスカーナ地方の青々しい豊かな風景の中を走っていた。私は冷や汗が止まらなかった。

 

 2つの想定外。バスが大幅に遅れたことと、フェリーのチェックインを出航の1時間前までに済ませなくてはいけないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、私は急にそんなことはどうでもいいような気がしてきた。さっきまで冷や汗を流していたのに、突然冷めてしまった。

 

 

別に間に合わなくてもいいじゃないか。別に旅程を誰に決められたわけでもない。ただ1万円ちょっとを失うだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ええい、この際「果報は寝て待て」だ。

 

 

 

 

 

 

私は寝ることにした。